コーヒーのしずくと紙のしみ

好きなこと書いていけたらいいなって思います。

光の謳歌印象派展

 仕事に明け暮れる訳でも無く、日々が忙しい訳でもないのに、自分で自分の時間を制限してしまい、何事にも無頓着になりがちに四月の上旬を過ごしてしまいました。言い訳をするかのように、仕事が終わってから今日はつかれたから少し横になろうと、そのまま朝を迎えてしまい大したことをやっているわけでもないのに家と会社の往復だけに。それに付随してストレスを抱え込んでしまい我ながら悪循環だなと感じています。

 

 そんな悪循環をどこかで断ち切ろうと、たまたまチケットを譲り受けたので今週の休日は京都文化博物館で催されている「光の謳歌印象展」に行ってまいりました。

自分の描く絵のひどさも相まって、音楽とは違い展示や絵画に表される芸術というのは疎いので何が良いとかどう素晴らしいのかという感性は持ちあわせていませんが、なんでもいいからズタズタに引き裂かれた生きること美的経験、美的感覚の統合を図るかのように足を運んできました。

光の謳歌印象派展と謳われているだけあり、クロード=モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、アルフレッド=シスレーカミーユピサロなどの印象派と呼ばれる画家の展示で、展示数から言うとなかなかの規模なんじゃないでしょうか。

 

 印象派とは画家のグループの総称でもあり、屋外での制作による光を意識した明るい色彩表現と伝統的な絵画技法にとらわれないものらしいです。モチーフも河や海、あるいは街の風景など身近なものを描いております。当時は自由すぎる表現に批判も相次いだらしいですが、今となってはそんなものは関係無くエレベーター、エスカレーターの利用に並ばなければいけないほどに閲覧者がこぞって足を運ぶ時代になっているのですね。

絵画を見た印象としては、確かに明るい色彩を用いての描写であり、空や水の青色を基調としその場での空気感までをも描写しようとしている一種狂気じみた、けれども美しい風景達です。絵画は視界とは違い、キャンパスの縁に沿って四角だとか丸に区切られてしまうので、そのキャンパスと画家達の視界に映る現実風景の境にズレが生じてしまい、どことなく違和感を覚えることもありました。しかしそれが絵画達の宿命であり美しさを閉じ込めるための限界なのかもしれませんね。

嵐の描写なら嵐の恐ろしさや荒々しさを区切りとり、穏やかな水面ならその静けさまでをも描写している。また雨が降り出しそうな町並みからその湿度までをも見たものに感じさせる、あえていうなら鬼気迫るとまで言える描写に何もわからない私でも息を呑むようなものがありました。

 

 ここで気になるの、そういった絵画達を「印象」派として表現するのは何なのでしょうか。「印象」というのは一義には「心に残る、心に映る」という意味です。英語の"impression"から訳された言葉なので、そっちの方から考えるとわかりやすいかもしれません。「心に残る、心に映る」というのは見た事、感じた事、経験した事が自分の中に残ることであり、いわば心に焼き印を押し付けるかのように強く残り続ける。

第一印象という言葉があるように、私達はまず見たことから物事を判断しようとします。人の印象に言うならば、清潔な服装をしているから誠実そうだとか、髪の毛を染めているから素行が良くないかもしれない、などといった見た目の印象から人となりを想像します。人となりとかはどうでもいいので、ここで大事なのはそういう印象をもたれるということであり、「印象」というものは主観よりも客観的な感性であるということです。

日本のクリエイティブ・ディレクター箭内道彦さんはあえて金髪や派手な格好をして、お手並み拝見となったときに、その派手な印象をもたれることに能力が追いつかないとカッコ悪いと自分を追い込んでいたそうです。最高にロックな考え方だと思いますが、これは余談です。

 

 印象派は、画家達が見た風景の「印象」を私達が垣間見るのか、あるいは画家達の絵画を見た私達の「印象」に当てはめられる言葉なのかわかりません。百点にものぼる絵画を見た中で私が最も印象深く見入った絵画が、その中でも二点しか展示されていないポール=セザンヌの描いたものでした。特に「水の反映」は立ち尽くし魅了されてしまう絵画でした。そのへんは感性の問題なのかわかりませんが、ここでは私の印象としてはその絵が強く残っています。

音程がずれている音楽は音痴で聞きづらいものであるように、表現する色彩がずれている絵画は見難いものであると思います。ですが時にはその狂いが心地よく表現されるときもあります。「水の風景」は他の展示と比較すると、割合突拍子もない色彩が用いられているのですが、私にはそこに一種の秩序と独特の美的感覚が感じられました。展示の隅っこのほうにぽつんとありますので、行かれるようなことがあったら見てみてください。是非ともその印象を聞かせてほしいです。

 印象派の展示は、基本的には美しく心穏やかな描写ばかりですので、これを嫌うというのはなかなか独特の感性の持ち主だと思います。五月の中頃までやっているのでぜひとも行ってみてください。

 

 美術館や展示会に足を運ぶというのは、年に一、二回あればいいほうですが、なんとなく以前よりも芸術に対する認識と理解をもてるようになったのかなあと感じるので機会を作って足を運ぶようにはしたいです。以前知り合いに「絵画というものはいまだによくわからない」と話をしたときにその人は「この線を何を思って描いたのか、この色使いをなぜしているのかと思ってみると憎いなあと思える」と仰っていました。その人は私が見ている世界よりも上質な世界を生きているのだなと印象を受けました。そういう世界に近づけるように意識をもって接するようにしたいものです。