コーヒーのしずくと紙のしみ

好きなこと書いていけたらいいなって思います。

女のいない男たち

 

女のいない男たち

女のいない男たち

 

  「文句なしにいい作品というのは、そこに表現されている心の動きや人間関係というのが、俺だけにしか分からない、と読者に思わせる作品です、この人の書く、こういうことは俺だけにしかわからない、と思わせたら、それは第一級の作家だと思います」

と著作の中で吉本隆明さんは語っています。優れた表現というのはコミュニケーションの外側で行われるものであって、言うならば言葉で伝わる明確な何かよりも言葉にされていない行間、沈黙のほうに、便宜的に言うならば、本質のようなものがあるという風に解釈しています。 誰かが評価するからきっと素晴らしいなんていう価値観は持ち合わせていないつもりで、けれどもそんな中にも皆が評価しているがやっぱりそれなりに素晴らしいっていうのものもたくさんあり、村上春樹の書く世界っていうのはそういうものの一つだと思います。何年かぶりの短篇集「女のいない男たち」も手放しに素晴らしいなと感じてしまいました。

 

 

ー絡み合い、響き合う6編の物語。村上春樹、9年ぶりの短編小説世界。(本作内容)

 

 村上春樹の書くもので本当に素晴らしいなと思うのは、色んな人の感想を聞いてみて肯定的な意見でも自分はわかっているという風に感じられるし、否定的な意見でも自分はわかっているという風に感じられるところです。実感としては文学的であり、描写される世界に痛烈な風刺や、何がしかの啓発、単にメッセージ性と言えるようなものがあるわけではなく、その「何もなさ」がある種の周波数にマッチする世界を描いていると感じます。

数々のレビューを読んでいると、冒頭にあげた「俺にしかわからない」という感覚を誰しもに持たせているんじゃないかなとは思いますし、私自身にも「俺にしかわからない」と、それがなにであれ、思わせる世界観には引き込まれるばかりです。

 どうにかして、一つ一つのお話をピックアップして自分なりの感想を書くことも可能なのですが、それこそが野暮であり、余り意味のないことだと感じてしまいます。

 本作内容としては、恋人だとか妻がなんらかの経緯を経て離れてしまった男たちを描いた短篇集であって、恋だとか愛だとか、あるいはもっと込み入った複合的な感情を描写しており、恋愛ベタな男性は立ち止まって自身の経験を照らしあわせてしまう、そしてそんなことが空虚な行為だと感じながら、読んでいってしまいます。

 

 曲がりなりにも四半世紀の人生を送っていると、学生らしい恋愛ごっこをしていたこともあったり、この人を一生愛せたなら素晴らしい人生だろうと、当時は思いながらも少しばかりの月日が経てばそんな気が狂った妄想も消え失せてしまっているような経験をしています。ともすれば、ここまで一時でも自分を狂わせる恋愛というのはいったい何なのだろうと決して冷静になれなくても、考えざるを得ません。

別に「好き」だなんて感情は、人となりもさることながら、どちらかというとその人がどんな言葉を使うのかということに惹かれるのではないでしょうか。口説くという男女の言葉の駆け引きの中で頻繁に立ち現れる単語もあるぐらいです。表層的な言葉の使い方に強く惹かれてしまう。あの人が何を言ったかなんてことに一喜一憂している。それは知的好奇心にも似た欲求で、ひょっとすると勘違いなのかもしれませんが、誰かが言った言葉に世界の赤色がより赤色らしくなるような衝撃を受けたようなことって誰しもあるのではないでしょうか。

 一方で実感としては誰かに惹かれるというのはその人が実際に言っていることよりも、その人が言っていないけど心の底に複雑に複合的にこびりついているもののほうで左右されてくることもあるよなってことです。それが同性であれ異性であれ。

目に入る綺麗であることよりも、視界の端をかすめる綺麗でないことのほうが、心に残り続け、あるいは魅力的に感じてしまうようなことがあり、都度それらを人は愛でようとしているのではないでしょうか。

 往々にして恋する男は端から見て気持ち悪いものであって、そのあたりはどうしようもなく見苦しいけれども面白いものであります。自身を鑑みるに、あるいは友人を照らしあわせてもそういうものだなと思います。

 

 今ここで記したことは、私の思っていることというよりも、明日以降もそう思っているのかというとそうではなくて本を読んでの感想であって意見ではありません。