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コーヒーのしずくと紙のしみ

好きなこと書いていけたらいいなって思います。

マディソン郡の橋

感想

 

マディソン郡の橋 (文春文庫)

マディソン郡の橋 (文春文庫)

 

 

 本を読む機会がめっきり減って、以前のペースと比べると半分以下でしたが少し余裕を持って前向きに読書をしていきたいです。更新していなかった間にも何冊か書いて思うものが多々ありますので一つずつ拾い集めて行きたいと思います。

久しぶりにしては少しばかりディープな題材を扱ったものになりますが、さすがに不朽の名作、映画にもなっているのでご存知の方も多いと思います。古典的とも言える、一つの美しいと呼ぶしか無い、愛を描いた「マディソン郡の橋」です。

 

ー屋根付きの橋を撮るため、アイオワ州の片田舎を訪れた写真家ロバート・キンケイドは、農家の主婦フランチェスカと出会う。漂泊の男と定住する女との4日間だけの恋。時間にしばられ、逆に時間を超えて成就した奇蹟的な愛―じわじわと感動の輪を広げ、シンプルで純粋、涙なくしては読めないと絶賛された不朽のベストセラー。(本作内容)

 

 簡単に言ってしまえば男女の不倫を描いた小説。しかしそんな簡単に切り捨ててしまっていいのでしょうか。こと日本においては倫理的にそれを乱す行為は罪となります。もちろん愛すべき伴侶が存在し、そこを不義理にしてしまうというのは間違い無く罪とはわかっております。ですが、そういう言い切ってしまっていいのでしょうか。この本は読者の経験により判断がまったく別れてしまう内容だと感じました。見方によっては、とんでもないことです。しかし、ロバート・キンケイドとフランチェスカ・ジョンソンの間には本当の、愛を感じていた。だからこそ物語最後のフランチェスカの子どもたちへの手紙に彼女は「この愛があったからこそ、自分は家族のもとに留まる決心ができたのだ」と書いてあります。もしこの愛が無かったなら、私は家族を捨ててどこかへ行ってしまっていたかもしれず、この地と夫と子ども達を愛することもなかっただろうとも書いてあります。

 

 日に日に神経を先細らせていく世界で、自分の感受性の殻に閉じこもりがちになってしまっている。なにが情熱でなにがつまらない感傷なのか、私にはわかりません。

「文化や芸術といったものが不倫から生まれることがある」と発言した人が過去にいますが不倫だなんて、簡単に言うつもりはありませんが、文化的なものがそういったものから生まれ得ることもあるでしょう。日本文学にもそういったものを題材とするものが多くあり、禁忌として見られるからこそ芸術な美しさを備えることもあるのかもしれません。

 

運命と言う大きな枠組で捉えるならば、今一緒にいること、一生一緒にいること、そして離れてしまうのも全て運命なのでしょうか。生きる時間とは一つの人生ではなく、「もし......」と言える数だけ存在しているのでしょうか。そしてマディソン郡の橋ではフランチェスカは二つの人生を同時に生きたのかもしれません。

 

愛すべき人がいるにも関わらずといった火遊びを揶揄しているのではなく、いつ、どういったタイミングで本当の愛と言えるものに出くわすかはわからない。結局の所、その人が運命と言えるのか、生涯の伴侶と言えるのか誰にもわかりません。例えば今愛すべきパートナーがいたとして心から運命と思えるならばそれ以上に幸せなことはあるでしょうか。わからないからこそ、とも言えるのですが。