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コーヒーのしずくと紙のしみ

好きなこと書いていけたらいいなって思います。

今夜、すべてのバーで

 

今夜、すベてのバーで (講談社文庫)

今夜、すベてのバーで (講談社文庫)

 

  一週間の鬱憤を晴らすかのように誰かとお店で、水で割られたウイスキーのように本来のそれからは遠ざかっているけれど何か意味があるかのようなことを語りながらお酒を飲む。あるいは夕飯を食べてからの週末への準備。家で一人でどこぞの小説の登場人物みたいにジャズを聴きながらとっておきのお酒を愛おしげにちびちびと嗜む。

どんな場に出てもひとまず問題が無い程度に嗜める程度でお酒が大好きとまではいきませんが、二五歳にもなるとそれなりに飲む場面が多くなってきています。

 

 アルコール中毒になるほど飲むなんてなかなかに理解し難いものですが、それはたまたま依存した先がお酒であっただけで、何かの拍子に私もそうなるのかもしれないなと思うことがあります。

アル中の入院記を描いた中島らもの「今夜、すべてのバーで」。ここに書いてあったことはわかるような、まだ遠いような、そのうちやってしまっているのかもと思わせられました。

 

ー禁断症状と人間を描いた中島らもの傑作小説アル中患者として入院した小島容。途切れ途切れに見える幻覚、妙に覚めた日常、個性的な人々が混然一体となって彼の前を往き来する。面白くてほろ苦い傑作長編。(本作内容)

 

 ロックンロール作家中島らもの傑作。おそらく本人の入院経験と基に書かれているのでしょう。余りにもリアルであるからきっとそうなのかもしれない。

自身の体調の異変が深刻な症状で現れて、初っ端から医者に入院を強制させられる。自覚があったのかないのか、本人は重度のアル中で一日でウイスキーの瓶を空にする生活を一七年ほど続けてきた。よっぽどでない限り衰弱のサインを示さない「沈黙の臓器」と呼ばれる肝臓が悲鳴をあげるほどにお酒を飲み続ける。そこまでお酒を飲ませてしまうのは何からなのでしょうか。

 

 お酒飲みで、本当にどうしようもない主人公。その半生も中島らも本人と照らし合わせられる事が多く、きっと自身をモデルに描いているのでしょう。物語のほとんどは四〇日にも及ぶ入院生活の中での、憎めない酒飲み、かしましい三人組のおばちゃん達、人間臭い主治医などなど。深刻なアル中の症状を描いているのだけれど爽快感に溢れた中島らもらしい小説でした。

 

 アルコール中毒への警告というよりも、お酒への愛が感じられる内容でした。これほどまでに体を追い込んでしまって、命に関わるような状態になっても飲んでしまう。わかっちゃいるけれどやってしまう。人間のどうしようもないダメさが描かれています。俺の体だ好きにさせろと言われてしまうと何も言えないのですが、そういうものでもないでしょうに。死のうとする人間を止める手立てはないけれども、死のうとしていない人間を止めることはできる。

お酒だけでなく、依存してしまうというのはなかなかに恐ろしいものです。私自身も大層強い人間では全くないので、何かに依存してしまう可能性があります。もしかすると今は音楽を聴くことが癒やしだなんていいながらそこに何らかの寄りかかれるものを見つけてしまっているのかもしれません。あくまでも個人的なものなので誰かに危害が被るなんてことがありませんので何もありませんが、ひょっとするとそういう風に依存してしまっている人ってのは多くいるのではないでしょうか。

私なりの解釈ですが、中毒というのは「何かに自制のコントロールを引き渡した状態」。私の場合音楽を聴くことで感情をコントロールしようとする。つまり音楽に感情の自制のコントロールを引き渡してしまっているのです。お酒やドラッグというのはその最たるものでしょうね。他にも人への依存なんてものもそうなります。この人と一緒にいると落ち着く、なんていうのも一種の依存心かもしれません。

 

ー薬物中毒はもちろんのこと、ワーカホリックまで含めて、人間の”依存”ってことの本質がわからないと、アル中はわからない。わかるのは付随的なことばかりでしょう。”依存”ってのはね、つまりは人間そのもののことでもあるんだ。何かに依存していない人間がいるとしたら、それは死者だけですよ。いや、幽霊が出るとこを見たら、死者だって何かに依存しているのかもしれない。アルコールに依存している人間なんてかわいいもんだ。中略 (「今夜、すべてのバーで」作中p232)

 

 依存していない人間がいるとしたら……と考えると、どういう人間がそうなのでしょうか。想像ができません。誰しも何かに依存している。それが社会的だとか、対人関係において迷惑を及ぼすようなものであるか、そうでないかの違いであって、表層的になっていないから問題が無く本人も自覚していないのかもしれません。ただ私が思うのは「自分はまともだ」と思っている人間ほどヤバいのかもしれないなと思います。「自分はまともだ」と言うことに依存していて、気付かずに杓子定規的になっているかもしれない。「俺はちょっとおかしい」と冗談交じりにでも言える人のほうが客観的に視ようとしていて、信用できるんじゃないかなあと、今は、思います。

 

 アル中を題材に扱っており、参考文献も潤沢にあるので一つにアル中を懸念している人がやめるのにも使える、けれども説教臭くない人間味溢れる小説です。酒を控えようと思うか、あるいは酒への愛情を確認できるかもしれない。後半でどどっと展開する中島らもらしい作品です。お酒に興味がなくても、一つに読み物として読んでみてもいいと思います。