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コーヒーのしずくと紙のしみ

好きなこと書いていけたらいいなって思います。

深い河

深い河

深い河

 

 

 

 

 ずっと前に、誰かに遠藤周作さんの本が良いよと薦められたのだけれど、その誰かが誰だったのか未だに思いだせません。図書館の本棚に並んでいる遠藤周作さんの作品が目に入ったときに、言われたことは思い出せたけれども、誰が言ったのかまったく思い出せないままに遠藤周作さん「深い河」を手に取りました。

 

ー人生の岐路で死を見た人々が、過去の重荷を心の奥にかかえながら、深い河のほとりに立ち何を思うのか。(本作紹介)

 

 何人かの日本人がそれぞれ異なる理由でインドを訪れる。妻を失った男は、妻の最後の言葉を頼りに。ある男は戦友を弔うために。ある者は自分の信じられない物を、たとえば「玉ねぎ」を愛する男を追いかけるように。あるいは、また違う理由で。

 話の根幹にあるものは、輪廻転生とそれに相反するかのようにキリストの教えがあります。著者自身も洗礼を受けカトリックになった過去があります。だからこそ本人が感じるキリスト教への懐疑心を登場人物に代弁させているかのように見受けられました。

世界でも多種多様の宗教が入り交じる国インド。この地から伝搬したとされる仏教徒も今では少数派になっており、多くはキリスト教ヒンドゥー教をあるいはまた他の宗教を信仰している。インドという国自体も、道端で人が野垂れ死んでいる、ものもらいが職業として成り立つ、根本的に死に対する認識が違う、こういった文化的な背景も含めて死生観は日本とは異なることから、宗教に対する、理解と、すがる気持ち。それらは私達が抱く印象とは根本的に違うものになってくるのでしょう。

 

 ーぼくは孤独ですから、おそらく孤独であるあなたに話しかけたいのです。情けないですが、ぼくは孤独です……(「深い河」P195より)

 自身と向き合う、ということは自分の中の孤独を愛する事に他ならない。そして孤独を理解しようとするものは、おそらく孤独を理解しようとしているであろう人に、それに対して抱く感情が何であれ、どうしても惹かれてしまうのではないでしょうか。理解され得ないと理解しているからこそ、孤独だからこそ、他者への理解を渇望してしまう。それこそが愛することの一つの手がかりなのかもしれない。愛という言葉が肌寒く白けるようでしたら、なんと呼んでもいいです。リンゴでも。玉ねぎでも。

 

 遠藤周作さんが根幹に抱く問題提起はこの本だけでは理解し切れない。彼の底にある、否定し難いすがりつきたくなるような宗教観。だからこそそれを否定したいと抱いている矛盾があると私は感じました。そしてそれこそが彼の文学としての、作家としての根幹にも影響しているのではないでしょうか。

 

ー「信じられるのは、それぞれの人が、それぞれの辛さを背負って、深い河で祈っているこの光景です。」(「深い河」P338より)

 月並みですがこの本を読んで、決して美しくない、混沌としていて、死ぬことと生きることが同居していると感じさせる、インドに足を運びたくなりました。その時にガンジスという深い河、聖者も子犬の死体をも、拒まずに一つ一つの灰を飲み込んで流れる愛の河。この河を目の前にして自分が何を感じるかというのは、思考していく上で欠かせない経験になり得てくれるのではと予感します。あるいは、ガンジス川が自分になんらかの影響と与えてくれると予感することは、ガンジス川を見たところで大したものを感じないのかもしれない。

 玉ねぎはどこにでもいるのでしょう。