もし僕らのことばがウィスキーであったなら
朝が秋を迎え入れるようになってしばらく経ちます。あっという間に夏が終わり、とうとう秋がやってきました。季節の変わり目なんていうのは合図があるわけじゃないので、その人がどれだけ気づけるかですよね。暑くなくなった、過ごしやすくなった、そんなことはきっかけでしか無く、本当に秋が来たことに気づいたのはいつでしょうか。
道路を時速100キロでかっ飛ばしてからようやく秋なんだなと気づくほどに鈍感になっていました。少し遠出をして、擬似的な旅に出て、ようやく日常の意識を切り替えられるみたいです。
どのような旅にも、多かれ少なかれ、それぞれの中心テーマのようなものがある。
そんな一節から始まる村上春樹のエッセイ「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」
ーシングル・モルトを味わうべく訪れたアイラ島。そこで授けられた「アイラ的哲学」とは? 『ユリシーズ』のごとく、奥が深いアイルランドのパブで、老人はどのようにしてタラモア・デューを飲んでいたのか? 蒸溜所をたずね、パブをはしごする。飲む、また飲む。二大聖地で出会った忘れがたきウィスキー、そして、たしかな誇りと喜びをもって生きる人々――。芳醇かつ静謐なエッセイ。(本作内容)
村上春樹が奥さんと、スコットランドとアイルランドにウィスキー、それもシングルモルトを、心ゆくまで賞味しにいく。それ以上でも以下でもない、彼らの旅行記とも言えるエッセイ。
アイルランドのアイル島と聞いてピンとくる人はどれだけいるでしょうか。けれどもラフロイグやアードベッグと聞けばアイリッシュ・ウィスキーとピンと来る人は、酒飲みの中には多いのではないでしょうか。村上春樹も本作で、これらのウィスキーを形容する際に「癖のある」とカギカッコ付きで説明しているように、彼の言葉をそのまま借りるのならいかにも土臭く、荒々しく、それからだんだんまろやかに、香りがやさしいシングルモルト達。
一口目の味ははっきりと好みがわかれてしまいますが、二口三口と口に含むにつれて他では味わえないユニークで、舌の上よりも脳の奥の感受性豊かな器官に訴えかける味わいに、多くの方がファンになっています。
仕事帰りの飲み会には、月と太陽が一つの空に浮かぶほど似つかわしくないですが、一人もしくは大事な友人やパートナーと静かに戯れる時間にはこれらのシングルモルトがその時間をほんの少しだけ、一滴一滴が豊かな時間にしてくれるようなウィスキーです。
村上春樹は彼の著作を読めばわかるよに、ウィスキーやワインの愛好家です。小説家でもある彼から語られたウィスキーたち、それもスコッチ、アイルランドのシングルモルト達は、とても品のある、けれども気さくな付き合いの長い友人のように、そばに寄りってくれます。小説家はここまで豊かに彼らウィスキー達を(きっとウィスキーは男性でしょう)表してくれいて、陳腐な感想ですが、間違いなくシングルモルトが飲みたくなってくる本でした。
ウィスキーを飲むときに饒舌な人間を見たことないのですが、磯の匂いが香る使い古された樽から長い歴史が染み込んだウィスキーをことばで言い表せられるのは、ちょっとした大人の嗜みの一つかもしれません。
もし僕らのことばがウィスキーであったなら。どんなことを話すのか。