コーヒーのしずくと紙のしみ

好きなこと書いていけたらいいなって思います。

お金を稼ぐって大変

 なんだかんだで一ヶ月以上もの間放置してしまいました。当初は自分への課題として二日に一回何かを書く、そしてそれはある程度までは律儀に守られていたのですが今となっては三ヶ月ほどしか続かないおぼこい恋愛のようなものでした。

ただ頭の片隅では、何であれ書いた方がいいよなと思いながらも、書けるほどに本を読んでもいないし思考の揺さぶりを感じるようなことも無く書いていないというよりも書いていられないという状態でした。

 

 就職してから早いもので八月いっぱいで九ヶ月になります。最初の頃は温いものだと感じていましたが、度重なる退職者に見まわれ新人と言えるような境遇の私にでもその場しのぎのための仕事を割り振られている状況で、七月頭の頃はどうかしてるとしか思えないほどの残業時間を重ねてしまいました。

業種が違えばそのような残業時間もざらなのかもしれませんが、私のように働くことに対しての意識が甘い、実際に就労していない期間が普通の人より長いとどうしても精神への負担が大きくなってしまい、二十四年ほどストレスというものを感じたことがなかったのですが、自分の中で「これはストレスだ」と実感してしまうほどに追い込まれています。

昔ながらのこれぞ中小企業というような会社なので、仕組み作りによって成り立っているというよりも、ある面では社員への負担を目をつぶりながら根性でやっているような会社です。ですので、多くの人が会社での仕事に対して「こんなもん」というような認識をどこかで持っているように感じてしまいます。

この「こんなもん」という認識が何よりも怖くて、どれだけ考えようとしてもそこで思考停止にかかってしまっているなあと実感します。人より秀でた能力が無い私は実際にそうなってしまい、自分の脳みその蜘蛛の巣が張っているような感覚が続いている日々です。ここで才のあるような方なら工夫を盛り込んで働けるのでしょうが、今の時点ではそこまで頭がまわらない日々追われています。

 

 働かせていただいている会社は製造業で、何か問題が発生するとなぜ?なぜ?分析を用いて本当の問題を追求し、原因追求・対策を行うという手法を取り入れています。こちらは元々トヨタの方が用いた思考体系であり、トヨタ生産方式として普及し色々な業種や分野で用いられているそうです。

細かいものを扱っている会社なので、良品があがるけれども規格から外れてしまった不適合品を作ってしまうことがあり、誤ってそれが客先で発見された場合は是正対策としてなぜ?なぜ?と問題を追求していく場面をこの何ヶ月で何度も見てきました。

 

 なぜ?なぜ?と掘り返していけば確かに最もらしい問題に対する原因が出てくるとは思うのですが結局の所追求しても問題の多くはヒューマンエラーであって、そこに無理やり意味をあてているように思います。先だって設定間違えで不良品を出してしまった現場の方が、是正処置としてなぜ?なぜ?と問題追求をしていました。

するとどれだけ視点を変えても出てくる答えが「確認しなかった」とか「手順書になかった」という所に行き着いています。

なぜ確認しなかったのかと言うと納期対応に追われて確認する余裕がなかったためとなり、なぜ納期対応に追われているのかと言うと無茶な生産計画で対応しているから、そしてなぜ無茶な生産計画になるというと人出が足りないから・・・という風に問題が明らかになってくるのですが、そのへんの問題点までは黙殺されています。

結局のところ、分析を続けているとヒューマンエラーに行き着いてしまい、確認が行き届いていないという風になっています。私が調べたり見た多くの是正対策の答えはそういった解決先を取るようになっていて、ルールばかりが増えている・・・と言う印象を受けています。

 

 この手法自体は素晴らしいとは思うのですが、そもそものもの作りの仕組み作りが出来ていない状態で分析を続けていたとしても同じような答えしか出ないのではないか?という疑念を抱いています。

しかし人間ですからミスを犯す存在であり、ものづくりを個人レベルではなく仕組みとして担保するという前提が無い組織では、もっともらしい分析をしても、余り効果がないのではないかと思います。

 

 そもそもの前提となる仕組みが無い立ち位置で思考の展開を広げようとしても、行き着く先がよくわからないところになってしまうという自戒です。