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コーヒーのしずくと紙のしみ

好きなこと書いていけたらいいなって思います。

二十歳の原点

 

二十歳の原点 (新潮文庫)

二十歳の原点 (新潮文庫)

 

 空から降るものが雪から雨に変わり、雪が溶け始める頃。地域によっては春一番が雪の下の蕗の薹の背伸びをお手伝いする時期。二月一九日、暦では雨水と呼ばれる時期になりました。近頃では、まだまだ寒さが本格化する確信を抱かせていますが、カレンダーだけでも着実に春に向かっています。

 今回は高野悦子さん「二十歳の原点」を読みました。

ー独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。(本作内容)

 

 二十歳と六ヶ月で自らの人生に、自らの意思で幕を閉じた高野悦子さんの日記。フランスの詩人アルチュール・ランボーの詩のような物事の退廃的な面を直視し、身を焦がす感情に苦悩する、若い、あるいは生涯で最も不安定な時期を綴った慟哭。心を切りつけて、えぐり取るような詩的な日記に、生きること、人と接することに苦悩したことのある人なら自身を投影しない訳にはいかない。

 

 始まりから終わりまで、徐々に自分にケリをつけるまでの距離を一歩ずつ進んでいく文章。不器用で、どうしようもなくて、愛おしくさえなってしまいます。決意を持った瞬間というのは明確に書き込まれていないのですが、その瞬間は、この日から、と読者に感付かせるような力強い決意が行間から垣間見えます。それは逃げたのではなく、選択だったのでしょうか。そんなことは確かめられない。確かめる必要もない。

 

 孤独であること、成熟できないこと。これはどれだけ歳を重ねようとも逃れられない、脱し得ないとわかっていても、あがき続けるのが人生なのでしょうか。このことから逸脱できた人なんておそらくいなかったのではないでしょうか。そうでないと言うのなら、逃げたのか、捨てたのか。あるいは死んだ。

高野悦子さんの選んだ事が正しいのか正しくないという判断は不毛以外何ものでもありません。彼女は、逃れられないと理解したが故にその道を進んだのかな。

 

 人に薦められるか、と言うと薦める気が起きない。だけど読んでみてほしい危うさを持った本です。

 不器用な人が生きるというのは、これほどまでに葛藤を繰り返し、真剣であり、どこまでも愚かになってしまうのか。私は器用か不器用か、と言われると断然後者で、まったくの他人を見ているのではなく、人生の、生きることの反復をこの本を通して見出してしまいました。もしこの本が滑稽だと映るのなら、貴方が器用だからでしょう。