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コーヒーのしずくと紙のしみ

好きなこと書いていけたらいいなって思います。

かぐや姫の物語

 私の勤務している会社は毎週水曜日はノー残業の日。というわけで終礼とほぼ同時に席を立ち帰路につきました。会社の規律を厳格に守るなんて、なんという社会人の鏡でしょうか。我ながら立派です。

 私の場合、五時十分に会社を出たら大体五時十八分には家に到着しています。なので時間を持て余してしまう水曜日。予定なんかあるわけもないので思い立ち、映画「かぐや姫の物語」を見に行ってきました。以前「風立ちぬ」に見た時に予告があり、かぐや姫が猛烈に走っている場面がとても印象的で、機会があれば見に行こうと思っていたのですが、思うだけでは機会なんてまずやってこないから十一月の上映開始から今まで暖めてしまいました。

 

 映画好きかと言われると俯きがちに違います……としか言えないのですが、素晴らしい映画を見た後というのは、自分が知覚していた世界を歪ませて少し宙に浮いているような感覚にさせてくれます。こんな経験をさせてくれたので間違いなく、私にとって、「かぐや姫の物語」は素晴らしい映画だったなと感じます。原作は日本人の八割以上が触れたことのある「竹取物語」。そんなありふれた話をこんな風に出来るなんて、本当に素晴らしいの一言に尽きます。なによりも映像の美しさに目を見張ります。鳥、虫、獣、草木花、四季の表現が本当に美しく映画を見ている際中に何度もこの場面の切り取りって眺めていたいと思うほどでした。

 

 映画のみならず上質な芸術作品に触れる時に、意識の外で、この作品には何らかのメッセージが込められていると考えてしまいます。けれども考察なんていうものは主観の域を脱し得ないので、何を語るにしても明確な(作者の)意図を引きずりだすなんてことは難しいだろうと思います。映画「かぐや姫の物語」にも同じことが言えて、何らかのメッセージが込められているはずだ。とは思うのですが、私には皆目見当がつきません。 

 何かのメッセージ性を私なりに抽出してみるのなら、「生きることを濃密に描いている」のかなと思いました。かぐや姫の一生。翁の思いやり、媼の愛情。それらを軸に何かを描いているのだろうか……と考えてしまいます。生きる事に焦がれたかぐや姫罪と罰。もう生きたくないと願ったかぐや姫罪と罰

翁の偏った思いやりに若干苛立ちを覚えましたが、最後には親はどこまでも親なのだろうなと。誰しもが簡単に口にしそして成し得ない「そばにいる」ことを言葉にせずとも最後の最後までかぐや姫のそばに媼の愛情。

 

「生きてるって手応えがあれば……」

かぐや姫がこの台詞を言った時には広い、六人しかいない、映画館で人知れず涙を流してしまいました。くだらない人生を、それもたった二四年しか生きていませんが、最近何かと涙もろくなってしまいました。

 

見に行って失敗したなと感じたのは、見た後にこれほどまでに「どうでした」と聞きたくなる映画は久しぶりなので、気楽だからと一人で行くのはちょっと迂闊だったなと思いました。上映を終えるまでに、どれほど時間があるかわかりませんがまだ見ていない人がいましたら、何かの機会に是非見にいってください。