コーヒーのしずくと紙のしみ

好きなこと書いていけたらいいなって思います。

素顔は見たことない


Billy Joel -  The Stranger - YouTube

 

 雲と雲、建物と建物の間からさす太陽の光が少しずつですが長くなっているように感じます。ロシアでは極寒でありながらも、太陽の恩恵を受け、街に連なるつららが一滴ずつ涙を流すように溶ける2月頃を表して、光の春と言うそうです。まだ寒さが強いですが、春遠からじ、季節の変わり目を予感させつつある時期とも言えるかもしれません。

 一年の一二分の一が終わりにさしかかろうとしています。そう考えると時間が流れるのはショートショットで見ると退屈な世界史のように長く、ロングショットで見ると放課後に友達とお喋りするように早く過ぎていきます。

 

 

 私がいっている会社は規定の作業着のようなものを着て、スーツを着ることが余りありません。けれども先週金曜日に来客があり、勉強も兼ねてその打ち合せに参加することになり、スーツを着て出向くことになりました。スーツを着るなんてかれこれ3ヶ月ぶりで慣れないながらも、面接にきた学生みたいだなと言われながらのフォーマルな服装での出社でした。

社会人になってからスーツを着るのは実質初めてのことなので、なんとなく身も心も引き締まるような気持ちになり、服装一つでこんなにも気分が変わるものなんだなとその時感じました。

 

 スーツを着ればサラリーマン、制服に包まれると学生、白衣を纏えば医者と言う風に衣装というのはその人となりを人格よりも前に表すものです。

 衣装というか漫画やドラマで正義の味方が普通の服装ではなく、正義の味方自身を象徴するような服装を纏って登場します。それは一般人である自身を、変革のための媒介物として「もう一つの世界」。つまり虚構の世界であり、私達の日常的現実の外にある世界に属する正義の味方を演出するもの。スーツを着る(衣装を纏う)というのは、それに近いものがあり、どこどこの会社の自分自身を演出するためには欠かせないものなのかもしれません。

 

 即興演劇、風刺喜劇一つに「コンメディア・デッラルテ」という演目があり役者達が類型的なキャラクターの仮面をつけその役に成りきり、類型的な台本を基にし時代背景や風刺をユーモラスに演じます。登場人物も決まっていて、道化師、恋人、軍人、老人などなどでそれらを象徴する仮面をつけて役柄を演出します。ここで焦点を当てたいのは、「仮面をつけることが役柄を決定づける」ということです。医者の仮面を被れば、医者に。軍人の仮面を被れば軍人になる。という風に仮面というのは顔(人格)を隠してしまいます。仮面を覆えば、仮面が象っているモノに人格が変化する。

 

 分析心理学のカール・グスタフ・ユングが提唱していたペルソナ(仮面)という考え方もまさしくこれです。先ほど上げたのは役者が用いた仮面のことですが、ユングは人間の外的側面をペルソナと呼びました。ペルソナ(外的側面)とは、人間社会の中で生活しようと思うと、どうしても社会に適応した態度を求められます。これは意識の外で、おそらく「他者の視線」から形成されるものです。よく思われたい。褒められたい。そのためにはどうすればいいのか。他人は自分の鏡。自分が望むものになるには、他者の望むものにならなければならない。他者と接する外的側面は他者の反応に呼応して社会的適応する態度を意識的か意識の外からか取らせます。

 こうした仮面を纏うことで人は社会的適応した態度を取ることができます。前回の「他者の視線に晒される」話にも関わりますが、スーツを着るということも同じようなことが言えるのではないでしょうか。

 

 仮面に覆われた私と、仮面を脱ぎ捨てた私はまったく異質なものです。どこどこに所属する私というのはどうしても所属しているコミュニティの規範からは外れません。しかしそれに属さない私は、規範は(他者の視線に晒された)自分自身が作り出すものですから、振る舞いは変わってしまいます。よく年配の方が、酒を飲めば本音が見える、とも言いますがそれはお酒で理性が緩んでしまい会社用の仮面の裏の素顔が見えるということでしょうか。

外的側面を象徴する仮面をつける。つまりサラリーマンの私を演出させる「スーツを着る」なんて行為は、なんやかやで自分自身ペルソナを纏っているんだなと感じました。

内的側面を表すものもあるのですが、そっちは余り理解していないので黙っておきます。興味が有る方はユングの本を手にとってみてください。

 

 さも心が存在するかのように扱うイマドキの心理学ってのはどうしても好きになれないのですが(誰の影響でしょうか)ユング心理学は少し違う印象を受け、彼の言葉を借りれば「人格の秘密の領域を探っている」と言う風に、彼は心があると言っているのではなく、便宜的に「こころ」(Psyche、プシケー)という言葉を用い、「人格の秘密の領域を探る方法」を暗中模索しているように、私は、感じます。

 

 女の人は仮面を纏うのがとてつもなく上手な人が多いと思います。知り合いの女性が「女は、ハンドバッグから自分を取り出せるの」と皮肉めいて言っていました。その場に適した仮面を容易に付け替えることが出来る器用さを持った人が多くいるように思います。逆に言えば、仮面を付け替えるのが苦手な女性も中にはいて、その人は上手な女性の中で生きていくのがたまに億劫に感じてしまうかもしれません。

一方で多くの男性は、私も含めて超下手くそです。目も当てられないほどに。あるいは自分が仮面をつけているなんてことに気づいていないのかもしれません。

 

 一度仮面を全て脱ぎ捨てることが出来れば。

 

ユング心理学入門

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