コーヒーのしずくと紙のしみ

好きなこと書いていけたらいいなって思います。

いい音ってなんだ

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 今日の午前は、寒いけれども、太陽が燦燦と差していて何はなくとも出かけたくなるような日でした。生憎の、私は仕事で会社で社用車を洗っている、まさにその時でした。その時の太陽がとても機嫌良く見えて、憎らしくも羨ましくもありました。

 

 今日は待ち望んでいた日でした。

 

 高槻にある、いわゆるオーディオのガレージメーカーのエルサウンドというところに半分オーダーメイドでオーディオアンプを頼んでいて、それが届く日だったのです。

エルサウンドのHPはこちらです。 http://www.ay-denshi.com/index.html

 

 こちらのメーカーさんは最高の音を提供してくれるという訳ではありませんが、私の理想とするオーディオに近いものをコンセプトにしており、それに共感して何回も足を運び、こういう風にしてくれ!!と頼んで頼んで迷惑をかけて作ってもらいました。

お値段も元ニートが買えるぐらいです。

 

 知り合いに何千万もオーディオにお金をかけていたり、中には家自体を音楽を聴くためだけに建ててしまった、常軌を逸したというか現実離れというかさすがの私も理解できないしたくないという人が何人かいます。

そういった人たちのオーディオシステムを聴かせていただくと、確かに異論を挟む余地がないほどに「いい音」で音楽を楽しめるのですが、本当にそこまでお金をかけてやるべきものなのか?と言うと、あらゆる趣味に言えることですが、理解が難しいところです。

 

  かと言ってなんでもかんでも意味が無いと片付けてしまうのは、短い人生の彩りを自ら捨てるようなもので、多少のお金とあくまでも自己満足の範疇で、楽しめるのならとことんやってやろうと思って今回私もオーディオに着々と手を伸ばし、泥沼に足先からはまりつつあります。

 

 オーディオをやっていると誰しもが直面する問題があります。

それは「いい音ってなんだ?」(あくまでもオーディオの範疇です)

 

 音楽を純粋に楽しむのなら、自分で演奏したり、コンサート会場に足を運ぶのが最も理解できます。

ですが、スピーカーやイヤホンから鳴っている音楽を楽しむという行為は、本来の意味での音楽を楽しむ行為から逸脱しているのではないでしょうか。

そういった矛盾したオーディオの世界というのは、数多のリスナーが多額のお金をかけ、ドツボにハマり、夢から覚め、あるいは永遠に夢を見続けるような人たちが、自問自答をし各々の答えを見つけ、諦めに近い納得と共に古今東西の兵達が散っていったと思うと混沌に満ち満ちた世界だと感じて止みません。

 

 私自身がオーディオシステムにかけたお金なんていうのは本当に微々たるもので、長年の趣味であるギターに費やしたお金の40分の1にも達していません。(この場合はギターへの投資が少し狂っているのですが)

スピーカーも父親からのおさがり、ケーブルも自作と安上がりですが、今のところ結構満足のいく(満足させている)環境になってきました。

 

 私自身が理想とする再生装置としてのオーディオは、「フラット」です。

CDやレコードを余計な色付けをせずに、可能な限り録音した環境のままに再生する。ということです。そこには再生装置自体の良し悪しは正直関係ありません。

Robert Johnsonの音源は、どんな再生装置で流しても、お世辞にも良いとは言えないものです。ですが、良し悪しは関係なく、Robert Johnsonがプレイしている環境が目に浮かぶような、たとえ再生されている音楽が劣悪であろうとも、フラットに再生してくれるのなら最高の再生装置だと私は考えます。

 「再生」とは「再び生かすこと」。演奏家が死んでしまい二度と聴くことのできない音楽をこの世に再現する。ボタンひとつで一時的にでも、音楽を通してこの世に蘇ったかのような体験を聴覚を通してさせてくれるもの。

 

 いい音というのは、一概にこれだ!と断定することは人の好み、理想、思想、環境などが左右するので私には出来ません。けれども私にとって、それはフラットであるのなら一向に構いません。

 

 なにはともあれ、再生装置としての我が家の環境は割合楽しめるので、興味があれば是非。