コーヒーのしずくと紙のしみ

好きなこと書いていけたらいいなって思います。

恭賀新年

 明けましておめでとうございます。何卒、今年もこれからもよくしてください。

もう年号を書く機会があったときに何ともなしに「2013年」やら「平成二十五年」と書いてしまいました。皆さんもそういう経験はあって?

 

 四計の一つに「一年の計は元旦にあり」と言いますが、肝心の元旦は新年の雰囲気を楽しむ間も無く連日お世話になっているお店に手伝いに行き一生懸命働いています。

まだ新春の兆しを感じるには。どういう一年にしていきたいのか、考える時間が持てずにただただ営業スマイルで顔の筋肉を引き攣らせ慣れないトーンで接客し声を細らせながら喫茶店のお手伝いをしています。

 

 

 近況報告も兼ねて、お世話になっている。身近で唯一と言っていい、尊敬をしている教授に挨拶をし(空気を読んでいない所もありましたが)連絡を取り、ふとその折にこんな一年にしていきたいなと思ったのでここにも頑張って記してみます。

 

 毎回毎回話題にあがってしまいますが(そしてそれはどうしても大事なことだったみたいですね)2013年の11月から就職でき、自分でもびっくりしていのですが、経済的な計画を余裕を持って考えることができています。

そういった「就職した」という報告も含めて教授に、恥ずかしながらこの頃になってようやく「詩」を読み、共感し、理解を覚えることが出来始めたと連絡しました。

 

 学生時分からその人とは生徒と教授との間を取っ払った、踏み入ったというか道を外したような話をすることが多くあったので、良くも悪くも私自身をさらけ出し、ある面に置いては理解を示してくれていた(のように感じる)ことを踏まえた上で「文学でいえば小説より詩がセンスにあってますね。」と言われ、余計な自信が湧いてしまいしっぽふりふり。センスがあっていると言われたものの、読めるようになってきたのはごく最近なので今年はできるだけ多く詩に触れる一年にしていこうと小さく胸に決意を抱きました。

 

 詩なんてものは、大学時代の後輩からも「良いですよ」と教えてもらっていたのにまったく読めなかった。そんなことを一つには認めたくなかったこともある。

けれども私は他の人と比べて持っている時計の時間がゆっくり流れているのではないかなとそんな経験を含めて思うことが多くあります。

だから当時はまだわからなかった。わからないと言える勇気もなかった。

だけど今ではわからないならはっきりと「わからない」と言えるぐらいには素直になれた所もあります。

(詩に)触れられない自分をある種の決定的な弱さだと思っていました。

それは弱さとは違い少しだけ自分には早かっただけだったと思えるぐらいに自分勝手になれました。

 

 触れられる実感を大事にする一年にしていきたくもあります。